|
イルカの家に連れてこられて30分ほど過ぎただろうか、台所では慌ただしくイルカが動いていた。なにやら暖かないい匂いがしてきていたが、カカシはその匂いが何の匂いだったのか思い出せなかった。 それにしても、とカカシは心の中でため息を吐いた。どうして自分は今、こんな所で座っているのだろう。今頃は自分の家で簡易食物でも食べていつものように半分起きたまま寝ていただろうに。 実はカカシは少々混乱していた。 今夜は、暗部のいつもの任務だった。いつものように暗殺の任務かと思っていたらターゲットを生きたまま捕獲せよとのことだった。それ暗殺じゃないじゃん、普通の任務じゃん、とカカシは不服に思ったものの、今も昔も忍者は人手不足。暗部と言えども火影の命とあらば暗殺という本来の目的とは違う任務もこなさなければならないのだろうとカカシは自分を納得させていた。 任務は迅速に誰の血を流すことなく終了した。その帰り道だった。 カカシは道すがらほっとしていた。実は最近自分の行動がおかしいと感じていたのだ。今日は大丈夫だった。仲間は誰一人倒れることなく自分の不可思議な行動は影を潜めていたから。でも今日はよくても明日はどうか解らない。 そんな時にイルカを見つけてしまった。油断していただけに心構えができず、自制心も働かず行動に移していた。 「なんであんなことしちゃったのかなあ。」 カカシの最近の不可思議な行動、それは仲間が傷ついて倒れていると我を忘れて助けようとしてしまうこと。 オビトが死んで、仲間は大切だと、任務も大切だが仲間を見捨てることはできない、そう頭の中の固定概念として植え付けられていた。だがその思いが強すぎるのだ。 自分の行動を自分で分析するとそういうことになった。 いつもだったら自分の強固な精神で行動に移そうとする前にストップがかかるのだが、今日は油断していた。恐れていた行動に移してしまった。 しかも血を舐めるってどうよ、確かに傷口を舐めるって言うのは動物的本能に従っている行動だけど、獣じゃないんだからさあ。ほんと、変だよ俺。 まあ、変と言えばイルカって子も充分おかしいけど。 見ず知らずの人間を家に上げるって、ちょっと普通しないよなあ。でも、心根は優しいのだろうと思う。聞いてほしくないことは聞かないでいてくれたし。 自分とそう変わらないのに人を思いやる心を持っている。自分にはなかなかまねできない、気恥ずかしくて。 すごいよなあ。 「何が?」 いつの間にかすぐそばにイルカが立っていた。思わず後ずさってしまった。どうしてその気配に気づかなかった、暗部失格だ。それに独り言だと思っていた言葉が口に出ていたらしい、そのことにも自分は落胆してしまう。 「どうでもいいけど飯できたからありがたく食えよ。」 イルカはちゃぶ台の上に皿を置いた。中身は焼きそばだった。先ほどの温かい匂いはこれだと気が付いた。どうしてこんな簡単な匂いが判別できなかったのか。火薬や薬の匂いだったら何一つ間違うことなどないだろうに。 他にもあるのか、イルカは台所に引き返してお盆に器を乗せて戻ってきた。器の中身は卵が入ったスープだった。 「さ、暖かいうちに食うぞ。いただきまーす。」 パンっ、といい音と共に手を合わせたイルカは早速自分の焼きそばをはふはふと食べはじめた。 カカシも小さくいただきます、と言って箸を付けた。折角作ってくれたものを粗末にするわけにもいかないし、腹も空いていたことだし。 だが一口食べてそのうまさに感嘆した。 「うまい、」 「だろっ!俺料理だけは自信あんだよっ!!」 イルカは目を輝かせて嬉しそうだった。アカデミー生なのに自信があるのが料理って、ちょっとまずいのでは、とチラっと思ったが口にせず、黙々と口に運んだ。焼きそばだぜ?普通のどこにでもある麺だし具も見たことあるものばっかりだし、でも今まで食ってきた焼きそばの中でもこれはピカイチだった。 卵スープを一口飲むと、こちらも焼きそばに劣らずかなりうまかった。 「普通の卵スープじゃない...。」 思わず口から出た言葉はまるでテレビの料理番組に出てくる評論家のような言葉だった。言ってしまってからその気恥ずかしさにカァっとなった。 「へへ、うまいだろ。昔はさ、ずっとインスタントばっか食ってたんだ。親がいる時は母ちゃんが飯作ってくれたけど、任務で里外に頻繁に行ってる間はずっと一人でインスタント漬けだったんだ。でもさ、段々味気なくなって、どうせ食うならもっともっとうまいもの食わないとなんか人生損してる気がするじゃんか。だから俺なりに研究したってわけ。」 どうだ、まいったか、と顔で言ってるイルカを眩しそうに見やって俺はなんでもないようにふーんと、頷いて卵スープをまた一口飲んだ。 イルカを見ると青のりを口に付けて卵スープを飲み干した所だった。ぷっと笑うとなんだよ、とむくれた。 「青のり、ついてる。」 言われてぐしぐしと口元をこすったイルカだったが、俺の顔見てにやっと笑った。 「お前だって付いてるっての。」 こりゃあ、やられました。俺は声に出して笑った。ああ、こうやって穏やかに食事をしたのは、一体どれほどぶりだろうか。 うまい飯で腹も一杯になって俺とイルカは揃って後かたづけをしていた。飯を食わせてもらったのだ、後かたづけくらいはしなくては。 イルカの洗った皿を俺が乾いた布で拭く。こんな単純作業でもなんだか和んでいる自分がいる。 「カカシってさあ、やっぱ中忍なの?とりあえず下忍じゃないんだろ?」 ずっと無言で洗い物をしていたと思ったらそんなことを考えていたのか。動きや仕草で下忍のものではないと感づいていたのか。なかなか洞察眼はあると素直に思った。 「まあ、確かに下忍ではないけど。」 まさか6歳で中忍になって今では本当に暗部なんですよ、とはちょっと言いづらかった。どうやらイルカは負けず嫌いな性格のようであるし、それに暗部だと知られるとまずいらしいし。しかし暗部の規則に顔と名前がばれたら記憶抹消なんて項目、なかった気がするんだけどなあ。せいぜい父ちゃんとやらが暗部の仕事を邪魔させないためにそういった嘘を言ってイルカにあまりつきまとわせないようにし向けたのだろう。 「そっかあ、俺はまだアカデミーにいんだよ。ほんと、まだまだお子様って目で見られるんだよな、くそっ、」 イルカはむくれている。その仕草がまさにお子様って感じなのをこいつは解っていないのか。カカシはふっと笑った。 後かたづけも一段落して、カカシはそろそろお暇することにした。時計を見るともう日付が変わって数時間経っている。 「悪いね、こんな時間までお邪魔しちゃって。」 玄関に向かうまでの廊下で言うとイルカはそんなこと気にするなよ、と笑顔で言った。 「どうせ明日は休みだし、少しくらい寝坊しても誰も何も言わない。」 両親が任務でいないんだっけ。会話の中で二週間は空けるとか言っていたっけね。しばらくはずっと一人ってことか。その間ずっと一人でご飯食べるのかな?一人だけで自分が試行錯誤して作ったうまい料理をかっ食らうんだろうか。そう思ったら無意識に言葉が出ていた。 「またご飯たかりに来てもいい?」 玄関先で履き物も履き終えた後で、無意識に出ていた言葉に自分でもびっくりだった。あっれー?おかしいな、俺、こんなに人なつっこかったっけ? イルカもちょっと驚いたようで、玄関先で2人、しばしの間ただお互いを見つめ合った。段差のおかげでイルカの視線が俺よりも高い所にあるのがちょっと悔しい。 そして、先にいたたまれなくなったのは俺だった。 「別に、」 だが俺の言葉は途中で遮られた。 「なんだよ、そんなに俺の腕に惚れたってか?お前案外かわいい奴だな。仕方ないから食わせてやってもいいぜっ。」 言うに事欠いてこの俺をかわいいだとー!?これでも泣く子も黙る暗部のカカシ様に向かってかわいいとか言うなよ。脱力しちゃうじゃない。 少々の落胆と、それでもお釣りが出るくらいのちょっと、いや、かなり嬉しいと思う感情をひた隠して俺は言った。 「まあ、いいよ。それで、ほんとに食わせてくれるの?」 「いいよ。と言っても俺平日の日中はアカデミーにいるから夜ご飯しか作ってやれないけど、それでいいのか?」 充分だよ。 「ま、イルカの料理の腕だけは俺より上だと思うからねぇ。」 途端、イルカはぱあぁっと顔を明るくさせた。そこでそんな喜ばなくても...。将来は忍びになるんじゃなかったわけ? 半ば呆れながらもあんまり嬉しそうにするものだから俺まで心が浮き立ってきた。 「じゃあ明日、っつってももう今日か、今晩も来るのか?」 言われて、だが今日はだめだったなあ、と日程表を頭の中に浮かばせた。実はまだ任務の報告をしていない。報告は明日でいいから今日はここで解散だと言って隊長は生け捕りにした人物を抱えて先に帰ってしまったのだ。今日はまず夜が明けたら任務報告をしてそれから火影の指示を仰がなくては。 だからちょっと約束はできない。いい加減な約束をしてすっぽかすのは嫌だった。 「ごめん、今日はわからない。行ける日は式を送って知らせるから。」 「解った。ところでカカシは嫌いなものってあるのか?」 イルカに聞かれてすぐに思いつく食べ物はあった。だがなかなか口には出せない。 なんか、自分より小さいと思われる奴に嫌いなものは何?と聞かれてもちょっと言いづらいな。食い物は食えるだけありがたいんだから好き嫌いもなにもあるかっ、とか言われたらちょっと凹みそうだし。 「ちなみに俺の嫌いなものは混ぜご飯だ。チャーハンは食えるんだけど、混ぜご飯だけはなんか苦手なんだよなあ。」 あっさりと自分の嫌いなものを露呈してしまったイルカに、俺は意固地になっていた頭を切り換えた。イルカといると本当に自分の調子が狂って仕方ない。でも、こんな風に狂えるならば狂ってもいいかもしれないと思えた。 「俺、天ぷらがだめなのよ。かき餅は好きだけど天ぷらの油がじわってした感じが嫌いでね。でも、イルカの作ってくれたのは美味しいかもね。」 「んなこと言っておだてたって何も出ねえぞっ。」 イルカはにやりと笑って言うが、俺は別におだてたわけじゃないんだけどなあ、と小首を傾げた。ま、いいけど。 「飯、うまかった。ありがとうな。」 「俺も、今日は手当してくれてありがとうな。おやすみ。」 おやすみ、だって、そんなの言われたのも久しぶりな気がした。任務が終わったらお疲れ、と労いの言葉をかけてくれるけど、おやすみ、なんて言わない。 暗部は人目に付かないように行動するから任地でも野営らしい野営はしない。休むのは木の上だとか岩の窪地だとか、人目につかない所で一人一人少し離れて休む。だからおやすみ、なんて互いに言うこともない。会話ですら命取りになるかもしれないから。 そう言えば、最後に聞いたのはいつだったろう。スリーマンセルでみんなでキャンプまがいの野営した時だっけ。あの時はオビトもいて、リンもいて、そう、みんながそろっていた。 「カカシ?」 ぼんやりと思い出に浸ってしまっていたらしい。らしくない、どうしてこんな感傷的になってしまうんだろう。情緒不安定ってやつ?ばかばかしい。 「おやすみ、イルカ。また今度。」 俺は身を翻すと足早にイルカの家を後にした。 顔を上げて見上げたイルカの顔が少し心配そうだった。俺、心配されてる?恥ずかしい。俺は、心配されるような人間じゃない。一人で生きていける。今は少しナーバスになってるけど、いつもだったら、いつもだったらこんなんじゃないんだ。 だから心配そうな顔をしないでほしい。 俺はため息を吐いて自宅へと向かって跳躍した。 |